社長の野沢です

「身体に優しい家」を建てたい!4代目の息子と、親子で家づくりを楽しんでいます

私は、工務店の3代目として生まれました

4代目になる息子と共に、毎日楽しく建築の仕事をしています。

息子は、私にあこがれてくれて、根っから「家づくり」の仕事が大好きです。

しかし、3代目を継いだ私が本当に建築を好きになれたのは、子供が生まれてからです。幼い頃から「長男は跡継ぎだ」と、親からも、親戚からも、学校の先生からも言われて育った私は、ほとんど洗脳状態で「建築の世界」に入りました。

だから、義務で、仕事はしていましたが、本音では音楽の仕事がしたかったのです。中学時代は吹奏楽部に入部し、高校でも、迷わず吹奏楽部に入部しました。

いずれ家業を継ぐ気ではいましたので、工業高校の建築科へは進みました。しかし、私が、熱心に取り組んだのは、音楽だったのです。

「親の跡を継ぐ」というのが前提になっていましたので、就職も地元の小さな工務店を選び、現場監督として働きました。真面目というのが、私の取り柄のようです。

今でも、人から頼まれると「いや」と言えず、地元消防団、幼稚園・小学校・中学校それぞれのPTA会長、自治会の役員等を務めさせていただきました。

仕事も、新築・増築・リフォーム・修繕、何でも依頼されると断れずに請けていました

「素早い対応で助かりました」とか「何かあったら、何でも野沢さんにお願いする」と言って頂けると、嬉しくなるのです。

今では建築の仕事が大好きになった私ですが、それは、高校を卒業して入社した会社の上司に言われた、こんな言葉がキッカケになっています。

「この世の中、好きなことで仕事に就いている人は、プロ野球選手やプロゴルファーぐらいで、ほとんどの人が好きな仕事に就いている訳じゃない。
自分から、好きになっていくしかない。」

この上司の言葉に、ハッとしました。
確かに、その通りだと思いました。そして、気持ちを切り替えたのです。

子供が生まれて、本気に

23才で結婚し、それを機会に、父親の工務店に戻りました

3年間は、大工の見習いとして、道具の手入れから、墨付けといった一通りの大工仕事を学びました。

父も叔父も大工だったので、相当に厳しく仕込まれました。しかし、その時の指導を今では感謝しています。

お客様との打合せから、設計、見積もり、現場監督と一通り任せてもらい、また「お客様」から、直接「喜びの声」を頂くようになって、やりがいを感じられるようになりました。

それが嬉しくて、頼まれたことは、何でもやってきたのです。

大工仕事も学びました

しかし、私が本当に「身体に優しい家」を建てたいと思うようになったのには、訳があります

私には、3男1女の4人の子供がおりますが、野沢建築の4代目を継ぐ二男は、幼少期のころ、ぜんそくとアトピーで、苦しい想いをしました。

その息子が建築の仕事に就き、経験したことがベースになって、もう二度と、「人の健康に悪い家」は建てたくないと思ったのです。

創業84年、ずっと引佐で家づくり
株式会社 野沢建築
代表取締役 野沢 彰

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ずっと引佐で家づくり
代表取締役 野沢 彰

追伸

私は努力して建築が好きになりましたが、根っから「家づくり」が好きな息子に、4代目を引き継ぐまで、まだまだ現役を離れない覚悟です。

息子の野沢理(おさむ)を紹介致します。

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自分が経験した同じ苦しみを味あわせたくないだから、私は自然素材の家を建てるのです

野沢建築4代目、野沢理(おさむ)です

私は、4250gのBig babyとして生まれました。

今でも大きいと言われますが、出産前の母のおなかは、はち切れそうで絶対忘れないと聞いています。大きく元気に生まれた私ではありましたが、3才のころ、小児ぜんそくを発症し、親子共々、とても大変な時期を過ごしました。

夜になると、「ゼーゼー、ゴホゴホ」
少しの運動でも、「ゼーゼー、ゴホゴホ」

季節の変わり目ばかりではなく、なにもない時でも突然に発作がおきました。
特に夜中の2時頃になると、鼻がヒクヒクして、ゴホゴホが始まったそうです。そして「お母さん、苦しいよぉ~」と母に訴えていたそうです。

母が、私を抱きかかえ、父が、弟をおんぶして病院まで車を運転し、病院について、吸入治療をしてもらうと、家に着くころには、スヤスヤと眠っていたそうです。

家づくりは、幸せづくり4代目 野沢 理

さらには、花粉症、アトピーなども発症し「アレルギー体質のお手本」のようでした

とても辛かったので、今でも鮮明に覚えています。

ぜんそくのせいなのか、アトピーのせいなのか、幼い頃の私は、とても消極的で、いつも母の後ろに隠れるようにしていました。

小学生になっても、ぜんそくの発作は、なかなか良くならず、友達と一緒に遊ぶことも出来ませんでした。

子供心に「なんで、僕だけ・・・」と、いつも思っていました。親を怨んだことさえあります。

いつも、どこかがかゆくて、無意識に搔いていたり、搔いたところが、またかゆくなって、さらに、ぜんそくが追い打ちをかけるような壮絶な日々でした。

だから、幼少期は、「ぜんそく」や「アトピー」の辛い思い出ばかりが残っています。

ぜんそくを克服するために、少年野球に入ったり、水泳教室に通ったりもしました。その効果があったのかどうか定かではありませんが、中学に入るころには、ぜんそく症状も出なくなり、「普通」の生活が送れるようになりました。

母の後ろに隠れる少年でした

父は、私にとってのヒーローでした

「義務感で3代目を継いだ」と言う父ですが、私の眼には、そう見えませんでした。
笑顔いっぱいのお客様や、職人さんの会話の中心には、常に父がいました。引っ込み思案だった私にとっては、父は憧れの存在でした。

たまに、父に連れられて、職人さんが働く現場を見に行くことがありました。

夏の暑い日も、冬の寒い日も、職人さんは、本当に一生懸命に働いていて、携わる全ての人が、お客様のために、全力で家づくりをしている。それを見ているお客様も、「本当にうれしそう」で、「家づくりは、幸せづくり」だなぁ~と、感じていました。

建前の「餅投げ」にも、必ず参加しました。
お目当ては、餅や、お菓子や、お金だったのですが、父に紹介されて、お客さんに挨拶に行くと、

「お父さん、本当に頑張ってくれたよ」
「お父さんのお蔭で、こんないい家が出来たよ」
「お父さんは、すごいんだよ」

と、いつも、声を掛けられました。

父は大工さんでもない、職人さんでもない、正直、父の仕事がいまいち何か分からない私でしたが、嬉しかったし、照れ臭かったし、幸せな気持ちでした。

遊び場は、工場でした

それが、私の家づくりの原点になったような気がします

父が工務店をやっていて、父の現場には、お客さんの笑顔があふれていたこと、家づくりは、幸せを作れる仕事なんだと感じたこと。私は、それらを感じながら、高校、大学とも、建築を専攻しました。

父を継ぐのは、兄だろうという思いはありましたが、それでも、自分のやりたいことは「家づくり」だったので、建築の勉強に精を出しました。

大学を卒業する際、色々な選択肢があり、一瞬迷いましたが、「昔の父の姿」を思い出し、やはり、お客様と身近に接することが出来る「家づくり」の世界を選びました。

社会人1年生として入社した会社は、通っていた大学のあった地区の地域密着の工務店でした。当時の私は、やる気はあったものの、右も左も分からず、お客様には不安や不信感を与え、先輩には迷惑ばかりかけていました。

「こんな若い人で大丈夫?」

お客様の顔色に、不安が浮かぶのが手に取るように分かりました。そのお客様の顔は、今でも忘れられません。

職人さんからも、「どうせ若造には、分からんだろう」と、完全になめられていました。本来担当者の私に聞いてくるべきことも、先輩に電話が入りました。

先輩が気を利かしてくれ、電話を替わってくれましたが、やはり分からない自分自身のもどかしさと、お客様への申し訳なさで、新築現場のクローゼットの中で泣いたこともあります。

だから、必死に頑張って勉強しました

分からないことは当然として、分かったつもりになっていたことも徹底して調べたり、聞いたりしました。職人さんとのコミュニケーションも大切にしました。

お客様へも、常に報告し、全てにおいて、即対応することを心がけました。今では考えられないことですが、発注ミスで家全体の建材の色を間違えて、お客様にご迷惑をおかけしたこともあります。

お客様に指摘されて、初めて間違いに気が付いた位ですから、本当にうろたえました。「やっぱり新人だね」と言われ、相当ショックでもありました。

しかし、これが自分の選んだ道です。後戻りはできません。そして、「この人のために何が出来るか」と常に心の中に、問いかけて仕事をしました。そして、最後には・・・

「途中いろいろあったけど、自分の思う通りの家が出来たよ」
「野沢さんが担当で良かった、これからもよろしくね」

と、言葉を頂きました。

私は、家づくりの素晴らしさを本当に実感しました。

新人、現場監督時代

嬉しくて、嬉しくて涙が出てきました

引渡しを終えた帰りの車の中で、「幼い頃に見た父の姿」そして、「父を見ていた自分の姿」を思い出し、「これが自分の求めていたもの」だと実感しました。

そしたら、また涙が出てきました。

その後も沢山の現場を経験させて頂き、家づくりの素晴らしさを、日々実感していました。しかし、そんなある時、事件が起きました。

ある現場の「引渡し前の検査」をしている時、ゾクゾクっと悪寒がして、なぜか頭がボーっとしてきたのです。ムズムズと嫌な感じがして、それ以上作業を続けることが出来ませんでした。

それがキッカケで、中学以来治まっていたアトピーと喘息が再発しました。調べてみると、シックハウス症候群の影響でした。

充実した現場監督時代

「人を幸せにしたい」と思い、やってきた家づくりが、人を病気にして良い訳がありません

私も無知でしたが、当時私が作っていた家は、普通に新建材を使った家でした。それが身体に悪いという認識さえ持っていませんでした。家が原因で、私が少年時代に経験した、あの苦しさを味わう人を、自分が作ってはいけない。

そんな気持ちで、焦りを覚えました。

ひょっとしたら、私の家づくりは「不幸な家づくり」ではなかったのか? そんなことまで心配になってきました。

そこで、会社に掛け合って、合板フローリングやビニールクロスといった新建材は止めて、無垢フローリングや塗り壁といった自然素材による家づくりに変更してほしいと頼みました。

しかし、効率を重視する会社方針は変更してもらえませんでした。

会社の方針に納得できない私は、まだ子供が3カ月という状態ではありましたが、妻と相談し、転職を決意しました。そして、別の町に引っ越したのです。

苦しかった頃を思い出しました

新しい職場は、以前にも益して、もっと小さな地域密着の工務店でした

しかし、自然素材のこと、健康に配慮した家づくりといったことに理解があり、私の提案を気持ち良く取り入れてくれました。お客様も、違いを理解され、私が求めていた「家づくり」「暮らしづくり」に近づいた気がしました。

「暮らし」「素材」から考える家づくりの原点です。

喘息、アトピーで苦しかった幼少期の辛い想い出は、今では、「感謝の想い出」として蘇ってきます。

父や母は、毎日毎晩、夜中に私の喘息発作が起きると、そのたびに、背中をさすってくれたり、薬を飲ませてくれたり、それでも治まらないときは、病院の救急に連れて行ってくれました。

翌日仕事があるにも係らず、ほぼ毎日日課のようでした。

両親は、親として当然のことをしただけだと言ってくれますが、それが毎日だと大変だったろうなぁ~と、感謝の気持ちで一杯です。

自然素材は気持ちいい

今、実家の野沢建築に戻り、父と共に「気持ちのいい健康的な家づくり」をするようになって思うことがあります

アレルギーが発症したり、悪化するような家は絶対に作りたくない。私は、そう決意しています。自らのアレルギー体験をもとに、古き良きものを取り入れ、「家」という「モノ」を作るのではなく、「暮らし」という「コト」を考えた家づくりがしたいのです。

家づくりは、幸せづくり
株式会社 野沢建築
4代目社長予定 野沢 理

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家づくりは、幸せづくり
4代目 野沢 理

追伸

自然素材の家は、アレルギーが治る家とは違います。
確かに、珪藻土や漆喰といった壁材、無垢フローリングなどの床材は、調湿性能もあるし、有害な化学物質も揮発しませんので、安全、健康と言えると思います。

私の自宅も、妻や子供に大好評です。
ただし、自然素材さえ使えば健康的な家が出来る訳ではないのです。

私は、重症のアレルギー症状を経験しました。そして、2児の父にもなりました。だから、両親の気持ちが、より深く理解できます。

アレルギーの子を持つ親という経験した父と共に、誠心誠意、健康的で、気持ち良くて、友達に自慢して頂ける本物素材の家を建てたいと思っています。

気持ちいい家を作りたいとお考えの方、お問い合わせください。
ご希望の方には、自然素材たっぷりで建てた私の自宅を公開致します。

家づくりは、幸せづくり
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私の家を公開します

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